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日本ゴルフ100年のルーツをさぐる(後編)

日本人第一号のゴルファーは、いったい誰なのか。日本ゴルフ協会の年鑑によると二人の日本人の名前が記されている。一人は、水谷淑彦。もうひとりは新井領一郎である。

水谷は、1896年英国のグリニッチ海軍大学留学中にプレーしたという。また、新井領一郎は、アメリカでプレーを始めた。ともに1900年以前のことだった。その新井は、ニューヨークで生糸の貿易商をして大成功を収めた人物だった。

病気療養を兼ねてノースカロライナ州パインハーストで滞在していたときにゴルフを覚え、ニューヨークに戻ってから在住の日本人たちにさかんにゴルフの面白さを喧伝した。そのひとりに井上準之助がいた。当時、井上は日本銀行の監査役で駐在中だった。

後に日本の金融界の重鎮となり、政治家となったわけだが、この井上らが中心となって生まれたのが、東京ゴルフ倶楽部駒沢コースだった。そして公式競技としては、日本アマチュア選手権のあと、1926年に第一回日本プロゴルフ選手権が開催されて宮本留吉が優勝。その年に関西オープン選手権が始まり、プロゴルファー第一号の福井覚治が優勝。これが昭和元年のことである。

日本オープン選手権が創始したのは、その翌年のことである。程ヶ谷コースで開かれ第1回の優勝者は、アマチュアの赤星六郎だった。赤星四郎、六郎とふたりの兄弟はアメリカでゴルフを覚えた。薩摩藩の洋学者の子として生まれ四郎はペンシルバニア大学、六郎は、プリンストン大学に留学しそこでゴルフを覚えた。

そればかりでなく、六郎は、大学ゴルフ部のキャプテンを務め1924年にパインハーストでの春期大学競技会で見事優勝するという腕前だった。もし赤星がそのままプロゴルファーとしてアメリカに残って戦っていたら、ひょっとしたら世界のメジャーを制覇していたかも知れない。

それは当時の『スポーツイラストレーティッド』誌が、赤星を絶賛する記事からも想像できる。六郎は、日本オープン、日本アマに優勝。四郎は、日本アマ2回優勝している。赤星六郎のフィニッシュは独特で「六の膝うち」「沈むフィニッシュ」としてアメリカでもゴルフマスコミの話題となった。

フィニッシュしたあとに右ヒザを地面につけるように沈むのである。赤星はアマチュアゴルファーばかりでなく、当時のプロゴルファーにももちろん技術指導をしている。パインハーストと日本のゴルフは、六郎以来、縁が深い。次にパインハーストで活躍したのは、近衛文隆だった。やはりプリンストン大学ゴルフ部キャプテンで、豪快な飛距離が有名だった。チームを優勝に導いたのは

いうまでもない。大学から最優秀選手として表彰された。その子近衛文隆が留学途中で帰国せざるを得なくなったのは、第2次世界大戦中だった。父親の近衛文麿が首相となり急遽呼び寄せられたのである。文隆は、シベリアで無念の死を遂げるのだが、もし文隆が生きていれば戦後の日本ゴルフ史は、アメリカナイズされたかも知れない。

その後、パインハーストで、宮本留吉がボビー・ジョーンズと親善マッチをして、5ドル紙幣を巻き上げ、それにボビー・ジョーンズのサインを貰った話は有名である。日本オープン選手権をプロゴルファーが制したのは、第2回大会。浅見緑蔵だった。浅見、そして宮本留吉、安田幸吉、戸田藤一郎というプロゴルファーが活躍し、彼らは率先して海外遠征にもでかけた。

また逆に、1930年には、ウォルター・ヘーゲンやジーン・サラゼン、ボビー・クルックシャンク、ビル・メルホーンという世界的名手を招いてエキジビションマッチを各地で開催している。第2次世界大戦を挟んで、日本のゴルフは大衆化へと進んでいった。特に、1957年、日本で開催したカナダカップ(現ワールドカップ)に中村寅吉、小野光一が団体優勝、中村は個人優勝したことがゴルフブームの火つけ役となった。

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