北海道のゴルフの歴史 その2.
戦争も終結し、昭和27年10月29日倶楽部再建後、再び28年5月9ホールでの再開することが出来ました。その後、第1期ゴルフブームなどで、周囲のゴルフ場が、立派な倶楽部ハウスと18ホールを有する中、当倶楽部は依然として、戦前のままの倶楽部ハウスと9ホールのコースだけであり、会員の18ホールのコースを欲する気持ちは、悲願ともいうべきものになっていきました。
昭和47年6月、国有地の払い下げを主とする、9ホール増設案を断念し、民有地買収による、一挙に18ホールの新コース建設に踏み切ることになりました。
しかし、全国的な土地ブームの時代の中、買収への悪影響を恐れ、当初計画は部外秘として扱われる事になり、新コースの設計は名設計者として名高い安田幸吉氏に依頼し、48年夏に着工、その間オイルショックによる資材の高騰などに悩まされたが、昭和49年6月、新倶楽部ハウスと共に、悲願であった18ホールのコースをオープンさせました。
ゴルフコースの用地は、地形がフラットで、その上樹木が少く、どのホールも同じようなものになり勝ちなため、如何に各ホールの特徴を出すかという点について、一番の苦労がありました。
樹木でも多くあれば特徴もつけ易いのですが、樹木が少ないため、数少い樹木を生かし、それに合わせてホールを変更しながら最小限の伐採で造成しました。樹木の列が植林防風林帯であったので、ホールの向きに合うところもあるが、変な方向に向ったりしているので、伐採を検討する場合、その場所によって非常に難かしく、樹木の少ない用地の伐採のむずかしさを痛感しました。 1つの池でもいろんな性格目的を持たせながら、そのホールの特徴にむすびつける様に考慮して造成しました。いろんな苦労がありました。
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